沖縄

 

沖縄は、まだ真夏だった・・・・。

地元の人は、もう秋だよって言ってたけど
ボクにしてみれば、十分、“夏”だった。



何度か、沖縄には足を運んだ事はあるのだが
【沖縄人】との本当の“ふれあい”というのは、今回が初めてだった。
 

《琉球ガラス》って知ってる?

グラスやコップから装飾品まで、
いろんなアイテムがとても美しい色で作られているんだ。
特に“ヒビ模様入り” “泡入り”のものや、グラデーションの美しいものが特徴的だ。

実際に工房に入ってみると
そこで働いている職人さんたちの技が光っていた。
高熱でドロドロに熔けたガラスを棒の先に巻き付けるようにしてすくい上げ
息を吹き込み回転させながら形を整え
棒から切り離しまた熱を加え、
新たに、真っ赤に熔けたガラスをくっつけて
最終形にもっていく・・・・。

実際にボクもやらせてもらったのだが
これがまた難しいのなんの。
ドロドロのガラスが垂れそうになったり、歪んだり・・・・。
まぁ世界に一つだけの“マイグラス”を作らせてもらったっていうのが
すばらしい経験だけどね。

 

《琉球ガラス》といっても、沖縄にはいくつかの会社があって
それぞれの《琉球ガラス》を作っているんだけど
ボクがおじゃました【共栄ガラス】には、“こだわり”があった。
赤がとにかく美しいのだ。
“真紅”といったほうが正しいかもしれない。
おみやげ屋さんに置いてあるもので、“真紅”のものは一切なかった。

【共栄ガラス】の宮国社長が言っていた。
「以前はいろんなリゾートホテルや店に卸していたが
最近、東南アジアで作らせて輸入したものに《琉球ガラス》というシールを貼って
平気な顔で売っている。
それは本来の《琉球ガラス》ではない。
せっかく日本にある素晴らしい文化を、なぜ大切にしないんだ。
それが許せないんだよ。
だから、すべての店から自分たちは手を引いたんだ。」


すごい“こだわり”だと思った。
売ることだけを考えているなら、そのままで良かったんだろう。
プライドがそれを許さなかったんだと思う。

「ガラスは宝石なんだよ・・・」

宮国社長のその言葉を聞いた時、鳥肌が立った。
沖縄人独特のあたたかさと、芯の強さを感じた。





慶良間の渡嘉敷島に渡った。
慶良間は世界でも有数の、珊瑚と海の綺麗なところだ。
ダイバー達のあこがれでもある。

阿波連ビーチの目の前にある【サザンクロス】・・という
あまりにも南の島らしい名前のペンションを紹介してもらった。

『はまばた』・・・・今年(2000年)9月にオープンした、このペンションの
以前の名前が、『はまばた』だった。
オーナーの“哲ちゃん”のイメージは
失礼だけど【サザンクロス】ではなく
まさしく『はまばた』だ、と思った。(笑
飾らず素朴で、あたたかくて、やってることは子供っぽくて・・・・。
見ているだけで、微笑んでしまいそうなぐらい、愛らしい人なのだ。

そして彼はダイバーであると同時に、フィッシャーマンでもあるのだ!

 

船でダイビングポイントまで行くのだが
そこはファンダイブ用の所ではなく、漁の出来る場所で
ファンダイブの人は‘好きなように’潜り
“哲ちゃん”をはじめ、フィッシャーマン達は
‘好き勝手に’魚たちを捕ってくる。

おもしろいのだ!

ボクは、“哲ちゃん”たちのハンティングをしばらく横で眺めていた。
狙った魚の7~8メートル程手前から、静かに息を潜めてゆっくり近づいて行き
5メートルぐらいの距離で銛を放つ。
仕留めた瞬間、ボクはう~んと唸り
その男らしい仕事に心の中で拍手を送った。
めちゃくちゃカッコ良いのだ。

普段の“哲ちゃん”とは大違い・・・(笑)

 


船の上で、捕れたての魚や貝をさばいてくれた。
ジョークを飛ばしあいながら・・・・。
潮で洗って、潮の香りと一緒に新鮮な海の幸を頬張る・・・
何て贅沢なことだ。
これがフィッシャーマン達の特権なのだろう。

島に戻ってから、常連さんたちも交えて
その日捕った獲物たちを囲んで乾杯し
談笑し、盛り上がった。

 

生まれは九州だが、もうずっとこの渡嘉敷島に住み着いてる“勉さん”も
すごい沖縄人だと思った。
真っ黒に陽灼けした体で、髪をうしろで結わえて、眉間にシワをよせて
サングラスをかけている・・・・。
初めて見た時は、めちゃくちゃコワそうな人だと思った。
でも笑い顔を見たとき、ホッとした。
話をしていくうちに、どんどん惚れていくのが分かった。


ある日、島の人が車ごと海に落ちて死んでいるのが発見された。
死後3日経っていた。
警察から“勉さん”に、死体引き上げの要請があった。
現場に行ってみると、大勢の島民が集まっていた。
その光景を見た彼は、心の中で叫んだ。
「こんなにいっぱい潜れる人たちがいるのに、なんで早く引き上げて
やらないのか。かわいそうじゃないか!」
もちろんその本人を“勉さん”も知っていたのだ。
すぐに潜って死体を確認し、車にロープを引っかけて陸に上がった。
「過去に5件ぐらいの死体引き上げを経験したけど
この時が一番辛かったなぁ・・・・」
そう言ってコップの泡盛をグイッと飲み干した。

哲ちゃんや勉さんに惚れて
常連さんになってしまった人たちの気持ちが
よーくわかる。

逢ったばかりのボクを 、まるで家族のように、そして旧知の友のように
あたたかく接してくれた・・・・

大感激だね。


 

ボクはリンドバーグのライヴの為、翌日は那覇に行くことになっていた。

「終わったらまた来いよ!」

そう言ってくれた時には、もうボクの気持ちは決まっていた。

那覇でのイベントの翌日、ダーリン佐藤も道連れにして
またまた渡嘉敷島行きの船に乗ったのだった。

 

 

哲ちゃんの奥さんのかずえさん
スタッフの照くん、ちさとちゃん
ちづるちゃん、ユーキくん・・・。
そして常連の、ピーナツの鈴木さん
栃木の越井さん、専務、菊池さん
北海道からのカズさんたち・・・。
みんな、素敵な想い出どうもありがとう!

 

今回、こんなに素敵な人たちとの出逢いを作ってくれたのが
やっぱり沖縄出身のアーティストの仲里くんだった。
ボクがどうすれば喜ぶかということを
彼はいつも考えてくれていたそうだ。

もちろん仲里くんのご両親にもお逢いして、いろんな話も
聴かせていただいた。
いっぱいいっぱい料理を作ってくれて・・・・。

「沖縄の人たちは、もてなすのが大好きなんです。
人が喜んでくれるのが一番うれしいんです。」
彼の言ったことは、真実だと思った。



 

昔、沖縄や奄美は『琉球王国』として栄えていたが
薩摩の国が攻撃して日本のものにしてしまった。
『琉球王国』は一切、武器を持たない平和を望む民族だったのだ!
第2次世界大戦の時には、日本で沖縄だけ地上戦が行われ
多数の住民が犠牲になった。

しかも・・・・
その後はアメリカの領土になった。
そして、日本に返還。

そんな歴史を乗り越えて、沖縄の人たちの大らかさというのは
ずーっと受け継がれてきてるんだろう。


ますます沖縄が好きになった。
間違いなく、【サザンクロス】の常連になることだろう。
いや、常連にさせていただきたい!
この旅で出逢った人たちに
もう一度お礼を言おう・・・ 。

 

 

サンキュー ソーマッチ! シーユー スーン!!」
・・・・・・・なぜかカタカナで。(笑)

 


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